あれから20年

その当日、北白川の下宿屋に住んでいたボクは最初の激しい衝撃で飛び起きて、本棚を抑えようとした。今から思えば、本棚の上の物が頭に落ちてくるような危険な行為で、相当に寝ぼけていたものだと思う。その日は、いつものように7時にワールドコーヒーに入って、いつものようにモーニングセットを食べて、トイレに行って(そう、京都の上下水道はいつものように機能していたのだ)、数理研の研究会(講究録)に出て、「今日は電車や新幹線が動くのか」「帰りの列車は動くのか」などと話をしていた。あまりにもひどい光景をテレビ越しに見たのは、その日の夜のニュースだった。
その年の3月に研究の打合せで岡山大学に行ったのだが、山陽線で神戸市に入り、不通区間を移動するときに惨憺たる景色が延々と続いていて、三宮駅で列車の車内から真ん中の階が座屈したビル(http://kobe117shinsai.jp/photos/c039.jpg)を見て唖然としてしまった。テレビに映った光景は所詮、狭い視野角の中の「シュールな映像」であり、リアルな見渡す景色ではないことを身をもって知った。