倫理学とは(加藤尚武『二十一世紀のエチカ』p.126)

かつて日記に抜き書きしていたものをもう一度読み直す:


日本では「倫理学」という言葉を聞くとすぐに、きれごとのタテマエを「錦の御旗」にする一方的なおしつけという印象をもつ人が多い。儒教の道学者の印象が「倫理学」につきまとっている。 本当は、倫理学は可能性のなかの選択の幅を決めるシステムである。 技術が人間の可能性を拡張すれば、かならずその一部は倫理的規制の対象になる。危険な飛行機を作るな、身体をむしばむ化学薬品を海や空に出すなというのは、みな倫理的規制である。倫理学無しには技術の生き延びる道がない。 (加藤尚武『二十一世紀のエチカ』p.126, 強調はあらき)
著者の挙げる両者の違いの例は
  • [通念] 法律上の処罰に依存しないで、 自覚にもとづく自発的行為が倫理学の対象になる。
    [本物] 法律上の処罰の範囲を決めないと、 自覚にもとづく自発的行為の領域も決まらない。
  • [通念] 倫理問題では、個人の価値観は違うのだから強制はできない。
    [本物] 法と制度の前提となる倫理問題では、 個人の価値観の違いを前提にして、 強制の範囲を決定しなければならない。

いま日記を読み返し、当時付けたコメントを見ると、結構、イタいものがある。