• 映画「ゲド戦記」はまだ見ていない。Y日記 2006年8月14日そしてUrsula K. Le Guin: Gedo Senki, a First Responseを読んだ程度である。この二つを読み合わせてみて思ったことは、宮崎吾郎監督自身が「アースシーの魔法使い(影との戦い)」のゲドのようになってしまっていることだ。若くて未熟であり、全力投球をして(つまり背伸びして)この世に解き放ったものが、自分の制御の能力を越えて世界に影響を与え、自分に災いとして降りかかってきてしまっている。'I wonder at the disrespect shown not only to the books but to their readers.(アースシーの物語のみならず、その読者に対する気遣い・顧慮・配慮の無さに驚いている)' という評価は、こちらも読んでいて辛い。皆が辛い思いをしている。



    Y日記に「「トトロ」の繊細さや、「千と千尋」の豊かさ」と抄訳されているが、元は'the delicate accuracy of "Totoro" or the powerful and splendid richness of detail of "Spirited Away."'である。力点は繊細さ、豊かさよりも考証の厳密さ、観察眼の確かさにあるのではないか。「繊細な正確さ」は例えば、引越しの直後にさつきがくみ上げポンプを使う前に呼び水をポンプに注ぐシーンであろうし、「パワフルで目を見張るような細部の豊かさ」は油屋の構造、家具調度から、湯婆々の下品な娼館女将の調度趣味、使う文具の詳細にいたるまで手を抜かずに描きこんでいることであろう。矢原先生は判っておられるのだが、読者の中には原典を読むのを手抜きして孫引きする方もおられるであろう。