「水からの伝言」はいじめである
「水からの伝言」を読まれた方、教材として使った方に聞きます
「きたない」とされた氷の結晶がかわいそうだと思わないのですか?
「きたない」とされた氷の結晶に美しさを探してあげようとしたことはないのですか?
「きたない」とされた氷の身になって考えてください。これは「いじめ」ではありませんか?これを信じてこれを教材に使う先生も親も、自分のやっていることが「いじめ」につながる、いや「いじめ」そのものだと気が付かないのですか?相手が「水」「氷」ならゆるされるのですか?自分の気持ちを理解してくれる相手ではないのですか?
そもそも氷の結晶に「きれい」「きたない」があるのでしょうか?どれもみな個性的で光を当てればキラキラと輝く美しいものではないでしょうか?氷の結晶をながめることで「きれい/きたない」「善/悪」の単純な二分法ではなく、
いろいろな形の氷の結晶があり、よくみればどれもみな美しさをもっているように、世の中にはいろいろな人がいて、どれもみな個性的でキラキラと美しいものだ。だからどんな人でもじっくりとつきあって、その人のよさを見つけようとしないといけない
と教えようではありませんか。
江本氏は自分の本は科学ではなくファンタジーだと言います。しかし氏の本が植えつけるものは、自分の主観的な善悪に基づいた独善でしかありません。そこには相手を積極的に理解し、認知し、多様性を互いに認め合う心が欠けています。
「水からの伝言」は、相手をよく見て、相手を理解しようと努めることをやめています。そして自分のこころに浮かんだ善悪と対象を単純に結びつけているところは、9.11のテロリストやその後の某国と変わりないのではないでしょうか。
「水からの伝言」を教材に使うのは止めていただけませんか?いじめ、差別の温床がはびこることに耐えられません。