母からのメール

今朝、メールをもらった。件名は今年も「終戦」。だまって転載

63年前の今日はまだ満州にいました大人達がラジオの前で泣いていたのを覚えています、それからが日本に帰る準備で大変でした、なにしろ一人一個の荷物しか持って帰れないのに私が10歳[叔父(次男)]が7ヶ月ですから、写真はアルバムぐるみでは持って帰れないので私がせっせとはがして荷物の底に押し込んで帰ってきました、多分[叔父(長男)]もあまり記憶にないでしようね
祖父は[はちろうこう(?)]で外務省の警官*1だったらしく、[ぼたんこう]に移って事務官になったそうだ(このとき[叔父(長男)]が生まれる)。そののち[はるびん]に移り(このとき[叔母]生まれる)、最後に通化の分駐所(?)で終戦を迎えたようだ(このとき[叔父(次男)]生まれる)。
そう言えば、母の昔語りに、ハルビンの凍りついた川の上でわんこが一匹、ビクターのマークみたいな姿勢で死んで凍り付いてたというエピソードがあったのを思い出した。
祖父の最後の任地は通化だが、地図で見ると現在、中国領で北朝鮮との国境に近い町だ。「引き揚げ」というと聞こえはいいが、おそらくはその日を境に「他国(あるいは敵地)」になった土地からの「脱出行」と考えるべきなのではないだろうか。戦時や引き揚げの国際ルールがあるのかどうか僕は知らない。引き揚げの行程の治安はどうだったのだろう。佐世保に戻るまでに約10日。釜山に着いたときに「つぎの船がいつになるか分からない」と言われ、そこにいた便に乗ったとのこと。
いまボクには3歳と1歳の子供がいるが、家族を連れての佐世保へと急ぐ祖父のその時の緊張やいかばかりであったろうかと思いやられる。
「終戦」という件名のメール - あらきけいすけの雑記帳