学生諸君の勉強のために:慙愧=恥ずかしいという思い

昨日、たいへん痛ましいニュースが流れた。首相が「大変残念です。慚愧(ざんき)に堪えない思いです」とのコメントを出したといくつかの新聞で報道されていた。ちなみに慙愧とは次の意味である:

Yahooの大辞泉
[名]スル《古くは「ざんぎ」とも》自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること。「―の念」

Yahooの大辞林
(名) 〔補説〕 「ざんぎ」とも。元来は仏教語で、「慚」は自己に対して恥じること、「愧」は外部に対してその気持ちを示すことと解釈された。「慚」「慙」は同字。自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと。
首相が、農相の関係する問題に関連する自分の行いのどの部分を恥ずかしいと感じているのか、報道はつまびらかにしていない。というか文脈から推し量るに誤用であろう。このコメントが報道されて忸怩たるものがあるのではないかと推察する。

参考:無慙愧は名づけて人とせず[大谷大学]

[蛇足]僕自身は慙愧、忸怩の正しい意味を少なくとも高校を出るまで把握していなかったと思う。

[追記]「農相を精神的に追い詰めるような立場に追い込んだことは、上司、任命権者として恥ずかしい」というコメントとしても読めることに、いまごろ気がついた。

首相コメント「慚愧に堪えず」、「残念だ」の間違いか[読売]
これに限らずあちこちからツッコミがかかっているみたい。