車いすの少女の実力についての新聞記事

車いす少女の中学入学を拒否した事件についてメモ - 情報の海の漂流者関連
朝日新聞(岡山版 2009年4月12日 13版 第39面 社会)に車いすの少女の能力について書かれた記事が掲載された(署名記事:高橋友佳理、藤田さつき記者、表題「みんなと同じ でしょ 奈良・障害ある女児 町が中学入学拒否」)。ウェブ上では記事そのもの、引用など見当たらない。この記事の一部を抜書きする。

脳性まひで生まれた時から手足が不自由。階段の上り下りやトイレでは介助が必要だが、食事や身の回りのことはたいていできる。車いすで1人で移動でき、地元の小学校に通って、他の児童と一緒に授業を受けてきた。
おそらく車いすは電動。自走式の手動の車いすは上肢の力が必要。ADL(ability of daily life)はそれなりに高そうである。また特別学級ではなく一般のクラスに参加していたようだ。
1年生のときは震える字で「1」と書くのがやっとだった。練習を繰り返し、いまは得意な漢字も早く書けるようになり、「カリカリという鉛筆の音を聞くのがうれしい」。夏休みや冬休み、次の学期に習う漢字をすべて覚える。毎日約2時間のリハビリを欠かさないがんばり屋さんだ。お気に入りの小説は「赤毛のアン」。丸ごと暗記し、どのページからでも最初の1行を聞けば、スラスラと暗唱できる。体育でも、6年生になると仰向けで25メートル泳げるようになった。
学習障害はほとんどなさそう。むしろ知的なこどもという印象を持つ。知的能力についての踏み込んだ記述はこれまでになかった1次情報である。記者によるエピソードの取捨選択はあるかもしれないが、一般の児童がいる環境の中で学習をしていることが、健常児と同じ知的レベルで追いついていきたいというモチベーションになっているという印象がある。このことは次の記載で裏書される。
母親(45)は「みんなと同じようになりたいという思いが娘を成長させた」。女児は「小学校時代の友だちと一緒に勉強したい」。
このような学習暦の子を「理科」「社会」「英語」のカリキュラムのない学校に進めてよいものだろうかというのが正直な感想。
女児の身体は介助員、車いすはクラスのみんなでよってたかって運ぶという協力体制を、せめて週に数日実現するみたいな解決ってないものだろうか?ノーマライゼーションが小学校では実現していたみたいだし。
この子の現在の状況については
奈良県教委が急きょ雇った養護学校の講師が13日から女児宅で教える予定だ。
とのこと。

追記 2008.4.15 同じ記事にあった町教委の記事

同じ記事の中に町教委へ取材した記事があった。表題は『「階段1日800段困難」町教委』。全文を転載する:

「800段。この中学校で生徒が1日に上り下りする階段の想定段数です」。下市町教委の堀光博教育長は入学を拒んだ理由をこう説明する。
女児が入学を望む町内唯一の中学校は、1971年建設の4階建て。高台の傾斜地に立つ。正門から校舎玄関への階段が27段あるほか、校舎から体育館への階段も35段ある。「理科室」「パソコン室」などの特別教室も多く、移動は小学校より多いという。階段にスロープはほとんどなく、校舎にエレベーターもない。
女児は小学校時代、町側が雇用した女性介助員2人と担任教諭に階段の上り下りを手伝ってもらった。しかし、堀教育長は「思春期になれば体が大きくなる。介助中に階段から落ちれば、命の危険につながる」。町教委は事故時の過失責任が問われることを懸念する。さらに年間約40億円の町予算では、介助員の増員、バリアフリー化の改修工事は難しいという。県教委特別支援教育企画室は「町教委は安全確保に不安を持っており、保護者と歩み寄りができなかった。残念でならない」とする。
まずキャタピラ式階段昇降機(キャタピラ式階段昇降機 - Google 検索)のような福祉技術 (assistive technologies) の導入は検討されたのか?というのが素朴な疑問*1。疑問の理由は記事中の対策が「介助員の増員」「改修工事」しか出ていないから。行政が福祉施策、福祉技術に無知というのはあり得る(記者も知らないんじゃないかな)。

*1:キャタピラ式階段昇降機の危険性も指摘されてはいる:http://www.dpi-japan.org/3issues/3-4access/imafuku/03_051026.htm。しかし何も無いよりはましなのではないかと考える。