「ゲロ吐きそう」を読んでゲロ吐きそう

増田:一浪で受験に失敗した人の末路は
教育内容で大学を選んでいるわけではないようだ(ゲロ吐きそう)。ボクが失意のうちに田舎から出て、京都の予備校の寮にいたときの友人には「生態学を一から勉強したいから、浪人2年計画で京大理に行く」とうそぶいて、きっちり2浪で京大理に入った強者もいた。「工学部」の学部程度のカリキュラムだったら、よっぽど特殊な例えば「原子炉工学」でもない限り、例えば機械工学なら機械工学で、どこの大学で学ぼうとも専門科目には判で突いたような授業のメニューがならぶ。たとえば「サル学」とか「古生物学」とかかなり特殊な「知的目標」が無いのだったら、大学入試なんて低レベルの知識水準で留まらずに、慶応だろうとどこだろうとさっさと大学に進学して、より難しいレベルの知識を吸収し始めた方がいい。所詮、大学入試なんて学力を測るものではない
それに専門性の高い知識は、いまどき大学院まで行かないと出会えないから、学部のときにどの大学だったかなんてどうでもいい。トウ小平の言葉にあるじゃない「白い猫でも、黒い猫でも、勉強する猫が良い猫だ」って。
「京大」「慶応」とかブランド品漁りみたいな書き方を見ると、結局、アイデンティティを確立できていない者にありがちな他者との比較、他者との相対的距離感でしか、自分を位置づけることができないんだなと思ってしまう。そしてそれはまだ広い世界を経験していない人では仕方ないことだとも思う。
増田氏が、他人との比較ではなく、自分自身の知的好奇心でドライブされる大学生活を送ることを願ってやみません。