サイフォンについてのいくつかの蛇足

前のエントリサイフォンの原理、あるいは「重力」も「大気圧」も同じくらいガサツ - あらきけいすけの雑記帳を書き上げてから一週間近く経つのだが、いまだにしっくりと来ない部分がある。

流れがサイフォンの形状で違う

サイフォンの説明が、どれをとってもなんとなく腑に落ちない理由は、おそらくは流れの様子、厳密に言えば非圧縮性 Navier-Stokes 方程式の解の振る舞いが、サイフォンの形状によって千差万別になってしまうだろうからである。流れの様子によって圧力の分布がちがってきて、それによって説明のイメージが変わるだろう。
英語版 Wikipedia Siphon - Wikipedia には、サイフォンの「鎖イメージ」を反駁するモデルがあって興味深い。どんな形のサイホンでも共通して言えるのは

流体を駆動している圧力差の大きさは、サイフォンの形状によらず、供給側と受容側の水面の高低差のみで決まる
ことだ。容器の大きさ、パイプの太さは全く関係ない。「(受容側の)管内の液体が重力で落ちて、液体を引き上げる」なんて説明を考えている人はFile:SiphonStillWorksWithBigLeg.svg - Wikipediaを見るべきだろう。
「高低差で決まる」のなら「重力」って言っていいような気もするかもしれないけど、そんなに単純じゃない。右の図の形でもサイフォンは動作するんだけど、最終的に水の流れ出る向きは重力の方向とは正反対になっているよね(パイプから出た後はこぼれるけどね)。入口と出口で圧力に差があって、圧力が減る向きに流れているよね。圧力差を生み出しているのは結局は重力なのだが、
流体の流れの向きは、パイプの形状を変えればいくらでも変えられるから、「重力の向き」と「流体の運動の向き」が単純に一致しているような説明は、眉につばをつけて読む必要がある
ことは肝に銘じておくべきだろう。

サイホンってどれくらいの流量が出るのかな。

液面の高度差が20cm程度(ポリタンクから石油ストーブのタンクに入れるのってそれくらいじゃないかな)で大雑把に見積もるとρ g h = 1000 [kg/m3] × 10 [m/s2] × 0.2 [m] = 20 [hPa] である。じゃあ 20 hPa 程度の「水流」ってどれくらいの速さなんだろう。ρ v2/2 = 20 [hPa] なので v = 2 [m/s] となる。2 [m/s] ってどれくらいの速度かというと、石油ポンプの管の断面積が 1 [cm2] = 0.0001 [m2] くらいとすると、0.0002 [m3/s] = 0.2 [L/s] くらいの流量。これで 18 [L] の石油缶を満たそうとすると 90 [s] で給油が完了する。

さてさて、ここに出てくる「圧力」の次元を持つ量の大きさは大体 10 [hPa] のオーダーだ。これに対して大気圧は 1000 [hPa] のオーダーで2桁くらい値が違うから、石油缶の問題で流体の方程式を解こうと思ったら、まずは静水圧平衡での圧力の分布を計算しておいて、そこから流れの影響の部分を補正として計算する…という研究手順になるんじゃないかな。

英語版 Wikipedia はボクと同じ意見

あのエントリを書き上げたあとで、英語版 Wikipedia Siphon - Wikipedia を見たらボクの意見と同じことが書いてあって、かなりメゲた。以下、意訳。

A typical siphon that carries a liquid over the top of an obstacle, works because gravity pulling down on the columns of liquid on each side, causes reduced hydrostatic pressure at the top of the two columns.

典型的なサイフォンは障害物をてっぺんをのり越えて液体を運ぶものだが、これが動作する理由は、重力がサイフォンの両側の液柱を引き下げようとし、二つの液柱のてっぺんでの静水圧の低下を引き起こしているからである。

Since the pressure at the top of the taller column is less than the pressure at the top of the shorter column, the liquid flows towards the lower pressure at the top of the taller column.

背の高い方の液柱の圧力は、背の低い方の液柱よりも低いので、液体は背の高い方の液柱のてっぺんの低圧側へと流れていく。

The reduction of pressure caused by gravity pulling down the taller column of liquid is sufficient to suck liquid out of the upper reservoir and up the shorter column, much like liquid being sucked up a drinking straw.

重力が背の高い方の液柱を引きおろすことによって圧力が減少するのだが、この圧力低下は液面の高い方の液体の容器から水を吸い上げ、背の低い方の水柱の中を引き上げられるだけのものである。まるでストローで液体を吸い上げるようなものだ。(←ここで "suck" と言っちゃうから、続く部分で苦しくなる。)

It is important to note, however, that the sucking of liquid over the top of the siphon is not like pulling the liquid.

でも大事なことは、液体をサイフォンのてっぺんを越えて吸い上げるといっても、液体をひっぱっているというわけではないということだ。

To say it is sucking is just another way of saying that the pressure is lowered at the top of the siphon and atmospheric pressure then pushes the liquid up the siphon.

ここで「吸い上げる」といっているのは、サイフォンのてっぺんでの圧力が下がって、大気圧が液体をサイフォンに押し上げていることの言い換えにすぎない。

At typical siphon heights, and conditions of normal atmospheric pressure, liquid tensile strength contributes nothing at all to pulling the liquid up, because the liquid is under pressure, and therefore the liquid molecules are actually repelling each other rather than pulling on each other, even at the top of the siphon where the pressure is reduced.

典型的なサイフォンの高さ、標準的な圧力の条件の下では、液体の張力引っ張り強さ(tensile strength)は液体を引き上げるのにはまったく寄与しない。というのも、液体には圧力がかかっており、それゆえ液体の分子は、圧力が下がっているサイフォンのてっぺんにおいてさえ、実際には互いに引っ張りあっているのではなく反発しあっている。(←ここは「液体には圧力がかかっており」ではなく「液体には圧力が液体を圧縮する向きにかかっており」の方がいいかも。というのも液体を引き伸ばす方向の圧力もあり得るから。)

It may be possible for a siphon to work in vacuum under very special circumstances, and under those conditions liquid cohesion would play a critical role.

非常に特殊な環境下では真空中でサイフォンが動作できるかもしれないし、そのような環境下では液体の吸引力が決定的な役割を果たすんじゃないかな。

But under virtually all practical siphon conditions, cohesion plays practically no part.

しかし実質的にすべての現実的なサイホンの条件下では、吸引力は実質的に何の役割も果たさない。

This is especially true when the liquid has no adhesion to the tube walls, such as with water in polyethylene tube or mercury in glass tube siphons.

これはサイフォン管の管壁に液体がちっともくっつかないとき、例えばポリエチレン管中の水やガラス管サイフォンの中の水銀に、特によく当てはまる。

追記 2010.6.1: 水理学業界では…

はてなブックマーク界隈で「ベルヌーイ」ってうるさいなあと思ったのだが、hydraulics 業界では、管内流の圧力損失の大雑把な見積もりのために「ベルヌーイの定理(カッコつき)」を使うのね。定理の外力のポテンシャルエネルギーのところに、しれーーーーっと圧力損失を「圧力損失相当の流体の水位」すなわち「水頭 hydraulic head」として放り込んで計算するようだ。これは Navier-Stokes 方程式を管軸に垂直な断面で平均化して∇〈p〉=〈-U×(curlU)+ν△U〉みたいな「繰りこまれた圧力」として扱って「管軸に沿って」積分するようなイメージなのね。(細かい詰めの計算はしていないけど。)
なんか「厳密な保存則」とはまったく別物の実用的な概算値を速攻で求めるための計算技法なのね。ショックだなー。

追記 2010.6.2: George Sinclair's siphon

いわゆる「永久機関」ものとして George Sinclair's siphon というものがあるようだ。へえ。
http://www.lhup.edu/~dsimanek/museum/unwork.htm#sinclair