アナ雪と翻訳の女王、あるいは"let it go"の翻訳を単体で語ることの不毛さについて

まず "let it go" の邦訳の議論でほとんどスルーされているみたいだけど、ぼくにとっては最高に大切だと思えることがひとつある。それは

歌の一番のサビの部分にピッタリとした日本語を当てたこと
1970年代終盤以降、日本の歌謡曲は現在の J-POP に至るまで、歌のサビの部分に必ずと言っていいほどヘンテコな英語の(歌詞ともフレーズとも呼べないイミフな)単語列が挿入されている。例えば同じディズニーの「リトル・マーメイド」の「アンダー・ザ・シー」なんか見ても分かる。もしこのサビの部分が「れりごー!れりごー!」だったらと想像するだけでも、背筋が寒くなる。
アナ雪の「ありのままで」にはそれがない。もちろんこの曲だけでなく、冒頭の氷取りの歌「氷の心」、「雪だるまつくろう」、「生まれてはじめて」、劇中歌がぜんぶヘンテコなフレーズの無い日本語になっていて、しかも物語進行のカギになる心理描写を原作に忠実に歌にしている。
ついでに言うと、うちの子供も「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」のオープニングは歌おうとしないが、「雪だるまつくろう」「ありのままで」は歌ってしまう。
次にスルーされていると思えるのが「"let it go"はそれ単体では成り立たない歌」であること。原作は緻密に脚本が構成されているので、"let it go"の歌詞をそのまま邦訳はできない。まず
Don't let them in, don't let them see. Be the good girl you always have to be. Conceal, don't feel, don't let them know
の部分は、"do you wanna build a snowman?" の間奏の中のエルサと父王の会話や、"for the first time in forever" のエルサのパートの中で、エルサがこれまで自分の魔法を抑圧するために、自分に言い聞かせてきた言葉を、戴冠式の前に復唱している部分を下敷きにしている。
[Elsa:]
Don't let them in, don't let them see
Be the good girl you always have to be
Conceal, don't feel,
 (ここまで後の"Let it go"と同じ。ほとんど描かれていないけど、大事な戴冠式の前に復唱するくらいだから、きっと今までも自分に言い聞かせていたんだろう)
Put on a show (魔法がばれないようみんなの前で演技しなくては)
Make one wrong move and everyone will know (ちょっとでもミスるとみんなにバレちゃう)
 (この2行が後の"let it go"で"well, now they know"に代わる)
 
[Elsa:] But it's only for today(でもそれは今日だけの我慢)
[Anna:] It's only for today(今日が出会いの唯一のチャンス)
 
[Elsa:] It's agony to wait(はやく済ませて今までどおり隠れたい)
[Anna:] It's agony to wait(はやくお祝いの会で出会いが欲しい)
 (同じ歌詞を正反対の意味で歌っているのを、翻訳するって不可能)
 
[Elsa:] Tell the guards to open up the gate
[Anna:] The gate
 
[Anna:] For the first time in forever
[Elsa:] Don't let them in, don't let them see(ここからエルサはダメ押しのリピート)
 
[Anna:] I'm getting what I'm dreaming of
[Elsa:] Be the good girl you always have to be
 
[Anna:] A chance to change my lonely world
[Elsa:] Conceal
 
[Anna:] A chance to find true love
[Elsa:] Conceal, don't feel, don't let them know
for the first time in forever lyrics
だから物語の緻密な構成を再現しようとすると「生まれてはじめて」も呼応するように翻訳しないといけない。それはあまりにムリゲーというもの。
そして訳詞をした高橋知伽江さんは、「エルサの自己抑圧の〈いいきかせ/呪文〉」の歌詞を全部、「自己抑圧した内面の吐露」の歌詞に置き換えて、歌とストーリー、歌と歌の間の一貫性を再現しようとしていらっしゃる:
まず、映画全体を観て、この作品は何を伝えたいのかを把握します。セリフからの流れ、人間関係、登場人物の性格、作者の意図などを理解することは、訳詞に取り掛かる前の準備として欠かせません。
(中略)
日本語の特性からいって、英語をそのまま訳しても曲に入りきりません。歌の大事なエッセンスを抜き出して歌詞に込めるようにするので、日本語のボキャブラリーを豊かにするように気を付けています。
http://eng.alc.co.jp/gogaku/2014/03/frozen.html
エルサは
  • 生まれつき魔法の能力がある(だから物語は「自力で克服」か「治療薬を求めて冒険」パターンがお約束)
  • 心優しい女の子(両親に「傷つけたくないから近寄るな」と拒絶するシーンが"do you wanna be a snowman"中に挿入されている。もともと自分を抑圧してしまう傾向がある。"Brave"のメリダの正反対。)
  • だから「魔法を隠す」と決めたら、自然にどんどん抑圧的になり、心が"frozen"し始めて、却って魔法の制御から遠ざかる。
  • 最後に耐え切れなくなって、ドッカーン!アレンデールが"frozen"、エルサの心も"frozen"が完成して閉じてしまう
という闇落ちの悲劇のパターンになっているので、その抑圧の積み上げのプロセスが物語の構成上、重要になるし、その重要さを把握した上で歌詞を「内面の吐露」で一貫して翻訳し、なおかつ日本語として歌いやすいし解りやすいものにした翻訳者さんは「翻訳の女王」ではないかと思うのだ。
というわけで、"Let it go"の邦訳の話が以前から盛り上がっているのだが(最近、はてブで盛り上がったものでは

あたりかな?)"let it go"の歌詞と邦訳で落ちた部分をこの曲だけに注目して議論するのは無理だと思うのだ。