fortran 90/95 の MODULE 手続きのスケルトンコード

自分用の覚書。2012年3月5日の日記から転載したものをちょっと改変。fortranは名前(識別子)が、名前衝突を回避する文法になっていない*1ことや、識別子の長さが最長31文字*2であることがあって、スケルトン的なものと考えてはみたがなんとなくもやもやが取れない。

      MOUDLE [module name]
        !
        ! DESCRIPTION
        !
        USE [external dependence] ,ONLY: [identifiers used in this MODULE]
        ...
        IMPLICIT REAL(KIND(0D0)) (a-h,o-z) ,INTEGER (i-n)
          ! some local variables (e.g. DO loop indices) are not
          ! explicitly declared
        PRIVATE
          [declarations of principal variables and arrays]
        PUBLIC:: [list of disclosed identifiers]
      CONTAINS
        SUBROUTINE setParam[module name]
          [TODO: initialize parameters that cannot be set with PARAMETER attribute]
          PI_ov_2= ASIN(1.D0); ! for example
          ...
        END SUBROUTINE
        SUBROUTINE alloc[module name]
          [TODO: allocate (large enough, maybe) arrays of this MODULE]
          IF(.NOT.ALLOCATED([array])) ALLOCATE([array]([its sizes]));
          ...
        END SUBROUTINE
        SUBROUTINE [purpose]_[module name] [([parameters])]
          ...
        END SUBROUTINE
        FUNCTION [function]_[module name] ([parameters]) RESULT ([output])
          ...
        END FUNCTION
      END MOUDLE

*1:USE文の文法に rename-list という「エイリアシング機能」

USE [module] ,ONLY [identifilerLocal] => [identifierDisclosed] ,...
はあるにはあるが…。

*2:fortran 基礎文法最速マスター - あらきけいすけの雑記帳

「ジョブ休学」という制度が作れないだろうか?

現行の「インターンシップ」制度のようなほんの数週の「お客様労働」ではなく、最低でも半年分の休学を取って特定の企業に連続3か月以上の試験雇用(アルバイト)してもらう。休学中は在籍料を安く抑える。つまり「帰るところ(大学)があるという安心」を前提として、社会経験と実務トレーニングを積ませるということができないだろうか。
「大学教育」に職業レリバンスを負わせるという発想は、「メンバーシップ型雇用」を前提としたホワイトカラー職に対しては無理なのではないか。それよりも日本の実態になじみやすそうな(北欧的な?)「労働と学修の併走」モデルがあってもいいのではないか。

濱口桂一郎『若者と労働』(中公新書ラクレ465)読書メモ

いろいろ書き足す予定。「段落ごとに」重要な情報がある。

  • 書かれていること
    • メンバーシップ型の雇用が前提の社会では、大学生に専門性に基づいた「職業訓練」が期待されていない
      ⇒かえって高校までの教育機関での「職業教育」が評価されない状況が、大学への進学へのインセンティブになっているとは考えられないか?
  • 本の主題とは関係がないので、書かれていないこと
    • 就職氷河期」と団塊ジュニアの大学卒業の時期がほぼ被っている。したがって「人口ボーナス論」は安直に受け取れない。少子化の原因はこの世代の社会的・経済的な自立が社会全体として達成されなかったことに求められるかも。
    • 現在の「さしあたっては何の役にも立たない、職業経験も知識も持たない若者」をメンバーシップ型雇用の中でどんな部署にもつけることを前提として職業レリバンスを考えるならば、「教養教育」「アクティブラーニング」が最も最適な職業レリバンスを持つことにはならないか?

こんなものだったかなあ?

ここ数日、近場でちょっと大きめの有感地震が続いた (2.6, 10:25, M5.1, 徳島県南部; 2.14, 16:18, M3.7, 兵庫県南西部; 2.14, 23:17, M4.0, 徳島県北部) ので、直近30日の地震の分布を見てみた。出典: http://www.hinet.bosai.go.jp/ 昨年の3月に周防灘で地震があったときにたまたまとっていた分布図があったので、比較してみる。周防灘から沖縄の列島線に沿った震源分布が少しはっきりとして頻度が上がったようにも見える。あと中央構造線の南あたりの10~30kmくらいの地震の頻度が心無しか上がったようにも見える。イベント数は2%も増えていないので、ぶれの範囲か?


2015.2.17,9:15-30days

2014.3.14,6:15-30days

倫理学とは(加藤尚武『二十一世紀のエチカ』p.126)

かつて日記に抜き書きしていたものをもう一度読み直す:


日本では「倫理学」という言葉を聞くとすぐに、きれごとのタテマエを「錦の御旗」にする一方的なおしつけという印象をもつ人が多い。儒教の道学者の印象が「倫理学」につきまとっている。 本当は、倫理学は可能性のなかの選択の幅を決めるシステムである。 技術が人間の可能性を拡張すれば、かならずその一部は倫理的規制の対象になる。危険な飛行機を作るな、身体をむしばむ化学薬品を海や空に出すなというのは、みな倫理的規制である。倫理学無しには技術の生き延びる道がない。 (加藤尚武『二十一世紀のエチカ』p.126, 強調はあらき)
著者の挙げる両者の違いの例は
  • [通念] 法律上の処罰に依存しないで、 自覚にもとづく自発的行為が倫理学の対象になる。
    [本物] 法律上の処罰の範囲を決めないと、 自覚にもとづく自発的行為の領域も決まらない。
  • [通念] 倫理問題では、個人の価値観は違うのだから強制はできない。
    [本物] 法と制度の前提となる倫理問題では、 個人の価値観の違いを前提にして、 強制の範囲を決定しなければならない。

いま日記を読み返し、当時付けたコメントを見ると、結構、イタいものがある。