おたがいに、ぼちぼちと…

子育て関連の話がちょっと賑やか。ぼくは子供が風邪をひいたらその子を背負ってでも大急ぎで医者に駆け込むのも親だが、それと同じように、「こりゃダメだ」となったら全力で叱りつけるのも親じゃないだろうか - はてな読みをブクマした。
chnpkさんのエントリ親になるとはどういうことか - よそ行きの妄想を読むと「悩める男親」像みたいなものを想像してしまう。「男」親ってのは(ジェンダーに関する偏見全開で書くと)どうしても「社会性」みたいなものを軸に子供を考えてしまい、それが例のchnpk的言説とくっつくと、件のエントリのような書き方になるのかな…と。うちの典侍と舜と同じ位の年齢のお子さんをお持ちだな…と。
エントリに「2年ほど前、保育園に行きたくないと強硬に主張する(駄々をこねる)息子を厳しく叱責したことがある」とある。2年前なら下のお子さんは妊娠中か出産直後。「赤ちゃん帰り」みたいな反応だって自然に発生する。結構しんどくて思わずやったことが、いまだにどこかに刺さっているのかな…と勝手な想像を膨らます。
親が優越的なのは仕方がない側面がある。だって赤ん坊は自分で飯を作れない、ウンコの処理もできない。それを約18年でADL(Ability of Daily Life, 本来は福祉用語なんだけど準用)を一通り「仕込ま」ないといけない。

私は、これについても合点がいっていない。一体自分のなにが自分の子供に優っているのか、よくわからない。
「じぶんで あるける」「じぶんで うんこが できる」「じが よめる」…いっぱいあるじゃない。「自力で確実な再現性をもって出来たADLの項目に関して優越的立場をやめる」ってのもありじゃないかな。自分なりのADLのリストを作るのが親の役目かと。
とりあえずchnpkさん、宗教と科学と疑似科学とニセ科学について - よそ行きの妄想を読んだときも思ったんだけど(ボクの主観的印象に過ぎないんだけど)「オール・オア・ナッシング」的にまとめようとするの、ちょっとだけ我慢してみない?