教養とは何か、あるいは数学的で論理的なふりをして子供に語ってみたいこと

君がN個の知識を持っているとしよう。
するとこの知識の中から2個を組み合わせたとき、その組み合わせの数はN(N+1)/2個ある。
ここに新しい知識が1加わるとする。するとこの知識の中から2個を組み合わせるとしたとき、その組み合わせの数は(N+1)(N+2)/2に増える。知識が1個増えただけで、2個の知識の組み合わせのパターンがN個増えることになる。
つまり2個組み合わせることを覚えると、知識が1個増えただけで、自分の持っている知識と同じだけの新しい思考パターンを持つことになる。
今度は3個を組み合わせよう。すると元の組み合わせの数はN(N+1)(N+2)/6であるけれど、知識が1個増えたときには組み合わせの数は(N+1)(N+2)(N+3)/6となる。つまり組み合わせが(N+1)(N+2)/2だけ増えている。
もし君の持っている知識が100ならば、101番目の知識を手に入れたときにおよそ5000個の新しい組み合わせを手に入れることになる。
ここからいくつかのことが言える。
まず知識は多いに越したことはない。ムダに思える知識でも組み合わせの中にピタッとはまれば新しい道が開けるかもしれない。
それから知識は単体で覚えるだけじゃだめなんだってこと。
単体の知識、一問一答型の知識では、1個知識が増えてもそれはただの1個。しかし2個組み合わせれば、知識の総量と同じだけ思考パターンが増える。3個組み合わせれば、1個の知識は文字通り「桁違いの」組み合わせを生み出していく。
だから組み合わせることが大事。まずは2個から。そして3個。
じゃあ組み合わせる練習はどうすればよいか?
行き当たりばったりを繰り返して、可能なパターンを探る練習を積むこと。これは「単純に答えに一直線に進むこと」では得られない能力だ。間違おうと正解だろうと組み合わせを沢山、試みること。(知的なギャグを考えるのも良いかもしれない。あり得ないような、大笑いするような、ハチャメチャな組み合わせが息苦しい世界に風穴をあけるかもしれない。)
そして教養とは何か?
しんどいときに、こうやってテキトーに話をでっち上げて自分を鼓舞することが出来る能力のこと。