工学系(だけじゃなく日本)の数学で教えないひとつのこと

ボクの身近でも工学系の先生たちの「数学屋不信」があるのだが(ボクの中にも少しね)、いずこも似たようなものなのかと思って拝見する。

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多分、(2)以降を拝見してからでも良いとは思うが、肝心なことが書かれていない。数学を学ぶ/学ばせる動機は何かが書かれていない。本文に
このように、非数学科において数学の講義をする際は、なんらかの意味で動機をはっきりさせる必要があると思われる
と書かれてはいるけれど。もちろん「動機」というものは曖昧なもので、人それぞれであり、文系、理系のような文化的な背景の差が大きく出るものであろう。しかし雑駁なくくりであってもスローガンみたいなものなら提示できるかもしれない。
工科系(というか理学部数学科という狭いカルチャー以外)の数学の動機付けとして教えたいことがある。それは
数学は100%正確な答えを出すためのものではなく、リアルな世界で動く「マシーン」…それは車かもしれないし、コンピュータかもしれないし、経済システムかもしれない…を理解し、制御し、設計するときに適切な精度の見積もりを事前に与えるためのツールである
ということだ。100%はいらない。たとえ50%でもシステム全体をミスリードしなければいい。この視点は日本の数学者と数学教育者には全く無いと言って過言で(あるかもしれ)ない。
少なくとも、小学校から中学、高校、大学教養まで、算数・数学で「どんぴしゃな答えのある計算」ばかりやらせてるじゃない、特に入学試験でね。いや、これは数学ばかりじゃない。物理だって、化学だって計算問題はみな「どんぴしゃな答え」がある。こどもが数学や計算を「100%正確なものを求めるためのもの」と勘違いするのも仕方がないよね。
でも本当は数学ってリアル・ワールドに立ち向かうための何か、一見、無秩序だったり予測不可能だったりする目の前の出来事に大雑把で見やすい見取り図を与えるツールのはずだ。だからこんなエントリを見ると、とてもうれしくなる:
痴漢問題のギャップについて - 情報の海の漂流者
http://osmanthus.at.webry.info/200811/article_16.html
前者は「痴漢は数が少ない」「痴漢にあった経験のある人はやたら多い」という話の間に矛盾がないことを大雑把な確率計算(フェルミ推定)で出してるし、後者はローンの支払額の概算値を、数列の一般項を指数関数で近似することでサクッと導いている。「そうなんだ!数学でこんな感覚を伝えたいんだ!」って気分にさせられる。(でもこの二つのエントリは多分、各々のブログ主さんが考えておられるほど易しくはないけど。)
近所の「数学屋さん」と話をしたときに、こんな概算(あるいはモデル化)の感覚のなさを感じることがある。しばらく前にある先生と話をしていて
最近の学生は10個の数値の分散も、よう計算せん!
と嘆いておられたので
エラーは演算のステップ数の指数関数で発生するから、ステップ数が多ければエラーが頻発するのは当たり前じゃないですか。それよりもテストの結果から演算1個あたりのエラー率を推定したりとかする方が楽しいですよ
と提案してみた。多分、こんなエンジニアリング的な概算の感覚は、日本の数学者が概して苦手とするところかもしれない。苦手とする理由は(多分)単純で、彼らは「ε-δ脳」だから「信用のおけないもの(数値)」を前提に立て、ロジックを組み立てることに深刻な抵抗感があるにちがいないのだ。
…つまらないことだが、ボクが学部学生の頃、一松信*1が数値解析の授業中に「今出川通りには、ドーヴァー海峡より深い溝がある」と言っていたことを思い出した…*2
多分、工学部の数学教育で必要なものは
モデル化の感覚と、そのための知的ツール(数学)の整備
なんじゃないかと思う。で、工学(といってもボクの場合は機械工学*3)の教程で表れる関数が初等関数とその組み合わせ、あるいは線形なシステムに過ぎないので、連続性の議論をすっ飛ばしてもたいていの計算で問題は無い。(本当はきれいな関数で書ける機械の運動なんてないのにね。)そうなるといきおいε-δなんかいらないという話になるとは思う。それはそれで合理的だと思う。
でも「工学部なのに、理学部出身の先生が全然工学を考慮しないで教えている」という苦情の方も話半分に聞いておく必要があるんじゃないかと、ボクは思う。少なくともボクの周辺○メートルの範囲内でそんな苦情を立てる人は(いや苦情を立てなくても、学科のカリキュラムや担当教員名がそれを黙って示しているのだが)「自分の身の回り○メートルで利用する数学」のイメージを念頭に置いて話しているからだ。どっちも、どっち。群盲象を撫で、言い合うような仕儀になっている。

*1:applied math の重要性を認識し、pure math の牙城であった京大理学部でちょっと孤立気味だったらしいとても偉い数学の先生。

*2:京都の今出川通りの南側に工学部が、北側には理学部があり、互いにカルチャーの交流が無いことを揶揄的に言った言葉。

*3:ボクは理学部の出身(学科は無かったが主に物理学…だが数学の単位も全体の1/3くらい)で、核融合研の非常勤を経て、岡山理大の機械工学科、福祉システム工学科を経て知能機械工学科にいる。