昨年の「事業仕分け」のニュースで妄想したこと

これから日本は衰退する国になっていく予兆の一つなのだろうと思った。つまり「これから国として貧しくなってカルチャーにお金を回せなくなりますよ」というアナウンスである。
学者という社会セクタは自前でお金を稼ぐあてがほとんど無いセクタなので、これは厳しい。多分、有能な学者から流出する(cf.*1)というのは、政策云々の話ではなく、日本の「国力」として現実化するだろうな。民主党がどうのという話ではなく、民主党政権になって「いままで見ずに済ませてたもの」が見えて来だしたという話なのだろう。
少子高齢化で人口が減り、90年代からゼロ年代の20年で技術の進歩に伴うコンシューマ向けの収益性の高い産業セクタの育成が十分にはできず(これには大学の工学部のような技術セクタ教育の職業レリバンス的シフトの不十分さが致命的だった可能性があると思う)、正社員は「サービス残業だらけ」で、非正規雇用は職にあぶれて(でも正社員の階層が家族を支えたおかげで、それが暴動につながるほどには飢えない幸運に恵まれ)というアンバランスな労働負荷が実現し…書いていくときりが無いけれど、日本という国がそこに住む人を十分に支えきれない構造になって抜け出せなくなっているのかな。
結局、日本は「高度成長期」のような近現代世界の発展途上後期の国家のような産業モデルしか想像できない、発想の多様性に欠けた文化的に貧しい国でしかなかったのだろう。いま「坂の上の雲」「坂本竜馬」を製作しているというのは、多分、そんな発展途上国だった時代を懐古するような国家としての老化現象の症状のひとつなのかもしれない。これが「大河ドラマ」(まあ「坂の上の雲」も似たような位置づけみたいだし)という「国民的番組(いまやそんなものないのにね)」の枠だというのが象徴的。


書いてて「後だしジャンケン」みたいな気分になってしまった。